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万の道、万のプロを訪ねて Vol.5

この記事は1年以上前に投稿されました。情報が古い可能性がありますので、ご注意ください。


今回お話を伺いに行ったのは、
Aqua Securityで活躍中の福田鉄平さんである。

OSSの権利関係


福田さんをユニークにする出来事の一つは、趣味で開発していたTrivyというOSSツールがAqua Securityに買収されて、同社で働くようになったという経緯である。趣味のOSSの開発が縁で採用に至るというだけでも結構めずらしいが、買収されるという事になると更にめずらしいのではないか。この経緯は、福田さん自身がブログにしているのでそれを参照されたい

僕自身は作ったOSSソフトウェアが買収された事はないが、HudsonがJenkinsになる過程のゴタゴタでOSSの権利関係には大分詳しくなったので、そっち方面からちょっと解説したい。

OSSプロジェクトが買収されるという時、買われているのは何か。著作権?と思うかもしれないが、そんな簡単な話ではない。まず、著作権を買い取る事にあまり意味がない。OSSは誰にでも広範な権利を与えているから、わざわざ著作権を買い取らなくても、かなりの事が出来る。そして、他の人からパッチを受け取っている場合、それらの著作権は依然としてパッチを送った人に帰属しているから、創始者から著作権を購入したとしても、全ての著作権を購入することが出来ない。なので、厳密に言えば、著作権を購入しても利用者として出来る事より何も出来る事が増えない。

本当に購入する価値があるのは、商標である。知名度が上がるのは、結局のところ名前だからだ。コードは自由に使っていいけど、俺らがHudsonの商標をとったから、お前らはその名前は使えないからな、というのがJenkinsの始まりである。

しかし、趣味のOSS開発者はプロジェクト名を商標登録したりはしない。だから購入しようと思っても、購入するものがないのである。

だから、僕に言わせれば、Aqua Securityがお金を出して買ったのは福田さんとの紳士の約束である。うちに来てTrivyの開発を続ける、その際にTrivyがAqua Securityのものだと福田さん自身が振る舞う事でコミュニティにそれを納得させる、そして万が一Aqua Securityを去る時でもプロジェクトを連れて行かない、そういう法的な契約書にはなり辛い紳士協定だ。著作権を買い取っているのはおまけだ。

普通の会社では弁護士が納得しないから、難しい。こういう事が出来るAqua Securityは中々格好いい。とても粋である。

なぜイスラエル?


この一連の出来事でもう一つ僕の興味を惹いたのが、福田さんがこれを機にイスラエルに移住した、という点だ。イスラエルという国は、日本の人にとってはとても心理的に遠い、エキゾチックな未知の国ではないか。

僕はJenkinsを作っていた頃にイスラエルのJFrogという会社と懇意になって、10年ほど、毎年必ずイスラエルを訪れていた時があった。なので、イスラエルという国には多少詳しくなった。良くいえば文化が濃く、悪くいえば余所者には同化しづらい国である。安全保障も難しく、実際に武力紛争やテロなどに苦しむ国でもある。言語はヘブライ語。イスラエル以外では使われていない言葉だ。一方、地中海沿いの独特の美しい気候に恵まれ、食べ物は美味しく、人々は歯に衣着せぬ代わりに人懐こく、長い歴史と独自の文化がある。

まあ、普通の人は移住しようとは思わない国だ。

Aqua Securityがイスラエルにしか拠点がなかったからなのかと思っていたら、福田さんによれば、アメリカかイギリスでもいいよと言われたらしい。なぜイスラエルを選んだかというと、「違う」という事が楽しそうだからだという。何という好奇心。僕も、未知の世界に飛び込む方が絶対に面白いという主義で、わざわざそれについてブログを書いた位なので、この話を聞いてとても嬉しくなった。

奥様も元CAなので、海外移住に抵抗がなく、それどころか同じ様に未知の世界を楽しみにされたとの由。その話を聞いて僕は安堵した。僕はアメリカ移住に際して嫁さんに随分苦労を掛けてしまった。大人を、縁もゆかりもない遠くの未知の土地へ移住させるというのは、簡単なことではない。

福田さんは、そのうちアメリカに行く機会もあるんじゃないですか、とあっけらかんとしたものである。イスラエルに永住するつもりではないらしい。こういう楽天的な性格があるから、機会を逃さないで面白い事に出会えるのではないか。最近Googleの田村さんに聞いた話にも通じる。好奇心というのはフットワークの軽さでもあるという事か。

イスラエルとスタートアップ文化


イスラエルに暮らしていると、やはり他ではできない体験を色々するらしい。断食の日。ホロコースト記念日。時間がくると街中でサイレンが鳴り響き、高速道路の上でもみんな車を止めて外に下り、黙祷を捧げる。それぞれに意味のある祝日。福田さんは、そういったものを興味深く感じているらしく、色々なイスラエルの文化に適合して実践してみたいと言っていた。

イスラエル文化の体験から、イスラエル発のスタートアップが多い理由の一つが分かったような気がするとの事。家を買おうとすると、まだエレベータもインターフォンも付いていない、要するに建築中の物件がもう売りに出されている。新しく開店したレストラン。まだ看板も出ていないし外装も完成していないのに、もう営業を開始している。地元の日用品デリバリーサービス。明らかに在庫管理がおかしくて人力でやっているっぽい。

未完成のものでもどんどん出していく。そしてそれを受け入れる。確かにこれはスタートアップ的な考え方だ。如何に素早く何かを出すか。それを使ってもらって、その中でどう改善をしていくか。

ここへ来て、自分は品質に拘っていたんだな、という発見をしたのだそうだ。あまりに当たり前過ぎて意識できなかったことが、違うところへ来ることで初めて理解できるようになる。魚は水の存在に気付かない。色々な文化や、色々な職場を体験する事の大事さはまさにこれだ。

企業がOSSを主導する難しさ


先日、Kubernetes界の有名人の青山さんへのインタビューで、会社人が外部のOSSプロジェクトに貢献する事の難しさの話をした。福田さんがやっているのは、会社が主導するOSSプロジェクトである。似ているようで、実は全然違う。

企業がOSSを主導する難しさは、その取り組みの費用対効果にどうやって社内が納得するかという点に尽きる。社会貢献みたいな傍流でフワッとした動機付けだと、「そのエンジニアをこっちのプロジェクトに回してくれるとこの機能が出荷出来る」という論理に負けてしまう。そして、会社の使命にどう貢献しているかという繋がりがハッキリしていないと、そこで働いている人達も日陰感や傍流感を感じてしまって不幸に繋がる。CloudBeesからJenkinsプロジェクトに人を貼り付ける上でこれは大変に苦労した。

Trivyではどうか。Aqua Securityでは、CTOがその役割をしてくれているらしい。そのCTOとぜひ話してみたいと感じた。

Trivyは最近知名度が上がって会社が力を入れてくれるようになり、人数もなんと8人。ライバルのOSSプロジェクトを追い抜いてこの分野では一位になった。とても立派だ。市場を教育するというマーケティングの一環に位置づけられていて、数値目標としては、お客さんが「どうやってAqua Securityの事を知ったのか」というアンケートに「Trivy」と答える割合を上げる事。そうすると、Trivy自体の間口を広げて多くの人の目に留まるようにする事が大事になり、ヘビーユーザーを喜ばせる事に力を入れるのは間違いになる。オープンソースの罠の一つは、既存のユーザーからのフィードバックに忙殺されて、新しいユーザーを獲得するための施策が後手に回ることだ。フィードバックに頼りすぎたもの作りをすると、そうなってしまう。とてもいい目標だと感じた。

そして、こういう目標があるから、Developer advocateみたいなロールの人が入ってきて、発表などをやってくれるようになったそうだ。OSSの成功にはプログラマー以外のスキルが色々必要だという事も、世間にはあまり理解されていないように感じる。プロジェクト内での立場も低くなりがちだ。この辺もJenkinsで問題意識として感じ、色々な対策をしたところでもある。

福田さんのこれから


イスラエルに移住し、Aqua Securityでの地位も確立し、そんな福田さんはここからどうなっていくのか。

仕事の方は、Trivyが一位になったという事で、落ち着いてきたと感じているようだった。プロジェクトが大きくなるにつれて創始者の仕事は段々変化していく。以前はコードのレビューは全部していたそうだが、今はそうではない。それどころか、今では自分の知らない機能がリリースされる事さえある。僕にも経験がある。プロジェクトが大きくなるにつれて、自分のやるべきことは常に質的に変化していく。視座がそれに応じて上がっていかないといけない。だが、身の回りにそういうロールモデルは中々少ない。Jenkinsの時に自分が経験したことをどこかにまとめたいな、それを福田さんに見せたいなとちょっと思った。

福田さん自身は、Trivyが落ち着いてきて、興味の一部がそれ以外の方向に移っているように感じられた。副業のための会社を持っている関係で、法律や会計の事に興味が出てきた。子供ができて、子育ても面白い。日本のお客さん向けに通訳として手伝う機会があり、それも面白い。セールスやマーケティングにも興味がある。ソフトウェアを書くことだけが全てではなかった。苦手なので必ずしも上手く出来ないことも色々あるが、ソフトウェアを書く力という、自他ともに認める一本の柱があるから、他が楽しく感じる。

僕には、好奇心の塊のように感じられた。こういう人はスタートアップにとてもあっているのである。ぜひもっと小さいスタートアップに行ってください、そしたら色々な事に首を突っ込む事になるし、色々な道のプロを間近に見られてとても面白いですよ、と言いたくなったが、会う人会う人に転職ばかり勧めていたらインタビューを受けてくれる会社がなくなりそうなので、止めておいた。


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